所在地 |
寛永寺墓地:かんえいじぼち |
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東京都台東区 上野桜木1-14-1 |
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管理・事業主体 | ||
宗教法人 寛永寺 | ||
総面積 | - | |
総区画数 | - | |
受入可能宗派 | ||
天台宗 | ||
休園日 | なし |
沿線・高速道路 | 最寄駅・I.C. | 最寄駅・I.C. ~ 霊園間 | |
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交通 | JR山手線 | 鶯谷駅 | 徒歩約5分 |
JR京浜東北線 | 鶯谷駅 | 徒歩約5分 | |
JR・私鉄各線 | 上野駅 | 徒歩約30分 | |
首都高速 | 入谷出口 | 車で約5分 |
施 設 |
管理事務所 | 駐車場 | 法要施設 | ||||
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礼拝施設 | 納骨堂 | トイレ | |||||
水 道 | 緑 地 | あずま屋 | |||||
休憩所 | 会席所 | 売 店 | |||||
特記事項 | - |
面積:単位() | 0.595 | 0.60 | 0.80 | 1.1 | |
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霊園価格内訳 | |||||
永代使用料(非課税) | 1,500,000~ | 1,700,000~ | 2,000,000~ | 2,900,000~ | |
墓石の価格+ 工事料(税込) |
1,320,000~ | 1,540,000~ | 1,760,000~ | 1,980,000~ | |
合計 | 2,820,000~ | 3,240,000~ | 3,760,000~ | 4,880,000~ | |
管理料(税込) | 12,000 | 12,000 | 12,000 | 12,000 | |
備考 | 位牌型 | - | - | - |
「墓石の価格+工事料」・管理料 は、税込価格を記載しております。
寛永寺
「東の叡山」の異名をとる東叡山寛永寺は、徳川将軍家とゆかりの深い関東屈指の名刹であり
都内有数の菩提寺のひとつです。
寛永寺は元和八年(1622)、徳川二代将軍秀忠公と天海大僧正により、徳川将軍家の祈願寺として創建が決められた寺院で、その三年後、三代将軍家光公の寛永二年(1625)十月に正式に発足しました。山号の東叡山とは東の比叡山の意味で、寺号も延暦寺に倣い年号を用いたのをはじめ、その後の造営も比叡山延暦寺に倣って行われています。
当初、寺領二千百石、寺域十七万坪程で発足した當山は次第に整備され、中でも現在の上野公園中央噴水の地に五代将軍綱吉公が建立した根本中堂は、間口45.5m、奥行42m、高さが32m程の大伽藍で、まさに江戸随一の建物でした。
八代将軍吉宗公の時代には、堂塔伽藍三十余棟(歴代将軍霊廟を除く)、子院三十六坊、境内地三十万五千坪余、寺領一万一千七百石余に及び、文字通り日本を代表する大寺院になりました。
一方、第三世(守澄法親王)からは天皇家より皇子を迎え、以来幕末まで山主は輪王寺宮(一品法親王)によって承け継がれました。輪王寺宮は東叡・比叡・日光の三山の山主を兼帯し、その存在によって、寛永寺は天台宗の実質上の本山となるばかりではなく、広くわが国宗教界全体の上に立つ存在となりました。
諸堂のご紹介
三百八十年余の歴史を持つ東叡山寛永寺は、重要文化財の建造物や宝物を現在まで伝え、伝統を保持しながら、時代の要請にこたえる事業を展開しています。
現在の境内地は約三万坪、天台宗別格大本山の格式を有し、根本中堂の他に開山堂、輪王殿、パゴダ、辯天堂、徳川霊廟、幼稚園、浅間観音堂及び子院十九院があります。そして戊辰戦争で焼失を免れた清水観音堂、輪王寺門跡旧本坊表門、徳川霊廟勅額門などが重要文化財に指定され、往時の雰囲気をしのぶことができます。また幕末に十五代将軍慶喜公が謹慎蟄居した葵の間や歴代将軍宝塔は、今日もそのまま保存され、歴史の重みを伝えています。
根本中堂 | 根本中堂内陣 | 徳川五代将軍綱吉公 勅額門 |
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開山堂(両大師) | 清水観音堂 | 寛永寺別院浅間山観音堂 |
徳川五代将軍綱吉公 御宝塔(左)水盤舎(右) | 徳川八代将軍吉宗公 御宝塔 | 徳川十五代将軍慶喜公 墓所 |
時鐘堂 | 旧寛永寺五重塔 | 不忍池辯天堂 |
新規特別墓所 一般公募受付中
霊園地図・お問合せ先
お問合せ先 | 東京都霊園ガイド |
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電 話 | 0120-811-966 |
詳細地図(PDF) | - |